ここカルタゴは、古代カルタゴの時代からビザンチン時代に至るまで数多くの遺跡が点在し、それらの遺跡はユネスコの世界遺産にも指定されている重要なものです。
フェニキアの都から逃れてきた王女エリッサがここに町を造ったのは紀元前814年のこと。4世紀にわたりギリシャと西地中海の覇権をめぐり戦い、ポエニ戦争でローマとたびたび戦って敗戦の後、たちまち蘇るカルタゴの力を恐れたローマは3度目のポエニ戦争で、町を徹底的に破壊したのです。その後150年の時を経て古代ローマ帝国の皇帝アウグストゥスは、ここに新しい町を造りました。
ビュルサの丘からの眺めは素晴らしいです。このようにポエニ時代の軍港も海も見えます。ここはポエニ時代のカルタゴの町があった場所で、ローマ時代のカルタゴでもバシリカやフォーラムなどが あった中心的な場所です。
カルティエ・マゴン。
近年ドイツの発掘隊によって発見された住居跡で、名前はカルタゴ初期の王の名、マゴから付けられたそう。前5世紀頃建てられたのがオリジナルで、後にローマ人によって立て直されているそうです。
ローマン・ヴィラ。
3世紀初めに街の北西部に造られたローマ領時代の高級住宅地の跡。
ゆるやかな斜面に住宅の跡が広がっていますが、奥の方にあるヴォリエールの別荘はとりわけ贅沢な造りの邸宅だったようです。
ヴォリエールの別荘。
海に向かい列柱回廊と中庭のモザイクが残っています。
出土した彫刻が置かれた中庭からの地中海を望む景色は素晴らしいです。
ラ・マルガの貯水池。
132km離れたザグーアンの泉から水をひき、市街やアントニヌスの浴場などに水を供給していたそうです。アントニヌスの共同浴場。
ローマ世界で3番目に大きな浴場とされているそうです。
中心の建物は高さ20mの8本の柱に支えられ、周囲をプールで囲んだ22×47mの水浴場、両側には体育場や温浴場があったと言われています。
時間がなくて全部の遺跡を廻れなかったとしても、ここだけは訪れてみてくださいね。
古代カルタゴの港
古代カルタゴの繁栄を支えた2つの港。南側の細長い形の潟が商業港、それとつながる北側の円形の潟が軍港でした。
ここは海からは軍港があるとは夢にも思えない造りになっていて面白いです。
カルタゴの子供たちが眠る聖地、トフェ。
カルタゴに残る遺跡の多くはローマ時代のもので、古代カルタゴ(フェニキア)時代のものは数少ないです。そんな中、象徴的な遺跡として、フェニキア人の幼児犠牲信仰伝説が残る場所がここ。シラクサの攻撃を受けたカルタゴは、神の怒りを鎮めるために有力者たちの子供を生け贄に捧げたと言われています。
ここはその儀式が行われたと言われる聖なる場所をされています。
ですが、幼児犠牲を否定する説もあるので、未だに真偽は明らかにされていません。
豊穣の神であるタニト神
いずれにせよここトフェに子供の墓があったことは事実で、聖域だった場所のようです。
幼児犠牲信仰伝説をもとに、19世紀フロベールが歴史小説「サランボ」の中でカルタゴの幼児犠牲の習慣を描いています。
円形闘技場。
当時3万6千人もの観衆を収容できたと言われ、これはヴェローなのものに匹敵するステールの大きさだそう。
2〜7世紀にかけて、ここでは血なまぐさい剣闘や猛獣狩り、さらにはキリスト教徒の処刑なども行われていました。
グラディエーターの世界がここで繰り広げられていたんです。
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